にしまさコラム vol.04


焼け残った「選挙道具」
    「やれ!」と言った親父


まず、今回出火に際し、大変多くの皆様にご迷惑をお掛けしましたことを、
心からお詫び申し上げます。

2003年2月3日、あまりにも非日常的な現実を目の当たりにした。
この日もいつもと同様、一日のスケジュールがほぼ決まっていた。
またこの日は節分ということもあり、午後から始まる節分会などと、朝から準備に追われていた。

いつもの時間に目が覚め、午前中に済まさなくてはならないことを確認した。
8時30分、自宅を後にした。半ば午前中の用件を済ませ10時15分に一度自宅に戻った。
私が戻ってくるのを待っていたかのように、入れ替えで母も出かけた。
次の予定は12時。
自宅で支度をしている最中、時計を見ると10時50分。少しの時間でもと思い、
近所をご挨拶させていただいた。
そうこうしているうちに時計を見ると11時30分。約束の時間が迫り、
慌てて事務所に向かった。
すると対向車線側から見覚えのある1台の車。よく見ると、それは私の姉が運転していた。
私が気づくのとほぼ同時に姉も私に気づいた。
そしてまるで緊急車両が現場に乗り付けるかのように、私のすぐ足元で止まった。
車の窓が開き、姉から発せられた第一声が何を意味しているのか、一瞬わからなかった。

「大変!家が燃えているって!」

現場は信じられない光景だった。
家族と過ごし、亡き父が残してくれた大切な時間と思い出が、
オレンジ色の炎にすべて包まれていた。
既に、私にはどうする術もなく、後は近隣と多くの皆様に大変なご迷惑をおかけしたことに、
お詫びする気持ちで一杯であった。
時同じくして、後援会の幹部・婦人部・青年部役員が招集され、
また多くの友人達が集まり今後の対応について、話し合っていた。

翌日、焼け跡の家に行ってみるとそこには・・・・「選挙道具」だけが焼け残っていた。
まるで、「こんなことでくじけるな!正隆には支えになって下さる多くの人達がいる。
そんな多くの方々の思いのためにも、やり通せ!」と、言うかのように、
親父が守ってくれたのだと感じた。

「こんなことになって、なぜ選挙に?」と聞かれる。
失った物は計り知れない。
しかし、多くの集まってくださった方々からは一言も「選挙をやめよう」と言う言葉は出なかった。
むしろより一層結束が増した感じがした。
私は最高の仲間に恵まれ、ただただうれしくて、涙が止まらなかった。

改めて今回の一件を通じて、今更ながら大変多くの皆様に支えられていることを痛感し、
後援会の皆様をはじめ、多くの方からの暖かい思いやりや、身に余るほどの親切等、
これは私にとって何より大切な財産であると、改めて感じざるにはいられなかった。
こんなことになり、ゼロからの出発ではあるが、より一層多くの皆様のご期待に応えるために、
そして故父・もりえ、家族、私自身のためにも頑張らなければならない。

今、心から伝えたい。支えてくださっている多くの皆様に、
そして亡き親父の思いに「ありがとうございます」。
そして、「精一杯頑張ります」・・・と。